重症仮死で生まれ、てんかん、脳性麻痺と重いハンデを負った娘の日常の記録と日々のあれこれ☆
【回想】生後1ヶ月〜2ヶ月 GCU後半(退院)の記録。
2012年05月06日 (日) | 編集 |

長らく滞ってた(というより、忘れていた)過去記事をぼちぼちと・・・

【回想】生後1ヶ月〜2ヶ月 GCU前半の記録のつづきです。





5/23 保健師さんが、ももと母に会いにきてくれた。
といっても、中には入れないので窓越し面会。少しだけだったけどすごく感じのいい人だった。


リハビリの時や、指はチュパチャパとよく吸うようになったけど、やっぱり直母はあまり吸わない。
この頃、ほんと憂鬱だったなぁ。。

またかなり過敏で、いつも朝行くと、タオルとかクッションで囲まれていたもも。
M病院のリハの先生も言ってたけど、体に接する面が多いほど緊張が和らぐって言ってたなぁ・・
NICU・GCUにいる時はもちろん、家でも特に背中や脚まわりにタオルやクッションをあててました。



看護師さんが、あんまりかわいいからって写真撮っててくれた


5/28 この3日ほど、担当がイマイチと言うより、最悪な看護師。
まず、物や子供の扱いまでが乱暴。 沐浴も他の看護師さんは、まだ慣れてないから横でサポートしてくれるのにほったらかし。
必死で絞って持ってきた母乳を渡しても、すぐに冷凍庫に持っていかず自分の仕事(PC)してる。
腹立つから、馴染みの看護師に言ったけど気にしていない。
退院に向けてのNGチューブの交換の仕方も言い方がきつ、く結局その看護師に奪われた。


6/1 退院に向け、初の母子同室での1泊お泊り パパも♪

パパ、久しぶりのももとの対面ヾ(@⌒▽⌒@)ノワーイ!
ももが運ばれてすぐ、NICUが母しか入れなくなってからだから生ももたん約50日ぶり?
しかも、人生初の我が子を抱っこ



感想は・・・「ももー!」って言ってから「ちっちゃいなぁ」と第一声www
慣れていない&不器用なパパは、ドキマギしてたなぁ〜


ももたん、ちょっと怪訝な顔ショット



この頃、ほとんど表情がなかったけど・・・少しずつわずかだけど色んな顔を見せてくれるようになった。


この頃のももたん、昼間はマシだけど夜はずっと泣きっぱなしの事が多いらしく・・・
初のお泊りの日も、22時〜0時頃まで泣きっぱなし。
しかも、辛そうに声をからして。゚゚(´□`。)°゚。ワーン!!

看護師さんにいろいろアドバイスをうけて、なんとか寝たε=(・д・`*)ハァ…
朝まで初の添い寝(*_ _)zzZ 家族、3人初の川の字で

朝起きて、フトみると・・・・


お気に入りの1枚に


 


6/5 祝2ヶ月ヽ(*´∀`)ノ*.o゜+:,*オメデトゥ*:,+゜o.*ヽ(´∀`*)ノ

身長・・・53cm  体重・・・3468g
NGチューブも、1人で交換でいるようになった。大汗かいてドキドキするけど。。


6/13  退院  体重・・3684g

ー当時の日記より抜粋ー

2ヶ月前までは、こんなに早く退院でいると思ってなかった。
看護師さん、特にリハのD先生には本当に感謝している。
そして、私自身も少しは強くなったような、ほんの少しだけど・・・
だけど、これだけは!ももの前では泣かない!!
これから先、不安や心配いろんなことがあるだろうけど、3人で頑張っていこう。
ももが、頑張ってそばにいることを望んでくれた奇跡。
私も、親として母として共に頑張って、ももを守っていこう。


退院当日、さらなるショックなことを言われたけど、耐えれた自分がいた。
少し成長できた?
この出来事は、またこの後の2ヶ月〜の記事でφ(。_。*)カキカキ またいつか(笑)




今日も最後まで読んでくれてありがとう♪
ンキングに参加しています(PCのみ対応)
    ↓↓ 2つとも「ぽちぽちっ」と応援してくれるとうれしいですハゲミニナリマス♪
  

スポンサーサイト

【回想】生後1ヶ月〜2ヶ月 GCU前半の記録。
2010年10月03日 (日) | 編集 |
《誕生〜生後1ヶ月 NICU後半の記録》のつづき・・・




朝、いつものようにももに会いにいくとももがいないΣ(゚Д゚;エーッ!
看護師さんから、隣のGCUに移動と聞いてびっくり!

GCUは、NICUと違い昼間は明るく、夜になると電気を消して普段の生活のようにしているとのこと。



ももは最初、手前のガラス越しの所にコットにはいって並んでいたけど、次の日には音やいろんなことに過敏ということで奥の方に移動となった。

NICUで「吸う反射がないかも?」って言われて「反射さえもないの・・」とかなり凹んだけど、看護師さんのケアのおかげで力強くはないけど、人の指は吸うようになってました。

でも、GCUに移動直後からまた全然吸わなくなり・・・・その2日後、ドクターに呼ばれた。
先生に呼ばれた時点で予感はしてた。

やはり的中。。。
反射がなくなったのは、食べる(嚥下)とか呼吸をするとかいった機能にダメージ(脳が)を受けてるからでしょう」
それから「恐らく食べたり飲んだりは出来ないでしょう 」と言われました。

このときは、頭で分かっていても信じたくないという思いの方が強く、先生に尋ねました。

「歩けるようになりますか?」

今思えば、なんで歩けるように・・・って聞いたのか分からない。パニックしてたのかな?

先生は「分からないけど、重く受け止めてください」とおっしゃった。
そして「リハビリを始めた方がいいので、手配します」と。

ももの所に戻り、ぎゅっと抱っこした。

この世に神さまなんていない・・・・そう思った。

帰ってからパパの前で、号泣した。涙が溢れて止まらない。

でも、ももは頑張っている。「今度こそもう泣かない!!」と心に決めた。

頑張って、ママのところに戻ってきてくれた。だから私も、それにこたえなければと思った。


その次の日、ももに会いにいくと看護師さんが「ももちゃん、指をチュパチュパと吸ったよ〜」と教えてくれた。
すっごくうれしかった。もも!!やれば出来るじゃない!!!

そしてリハビリも開始。過去記事【リハビリ D先生との出会い】




5/11 初めて沐浴の見学をした。次はママが入れるってことでワクワクとドキドキ

GCUでは、授乳室で横に並んで時間になるとおっぱいをあげにいく。
指は吸うようになったけど、力も弱くて何より嫌がる。

ももより小さな赤ちゃんがほとんどで、ももは1人大きい
みんなママのおっぱいを上手に飲むけど、もも1人泣くことが多くこの時間が苦痛でたまらなかった。

だから、他のママがあんまりこ来ない朝早くとか、ずらしたりして違う時間に授乳室へ練習にいってました。
ペロペロと舌をだして舐めるけど、吸うまではいかない。

少しなれて、今回は吸って飲んでたかも?って体重を計ると全然だったりで
指はだんだん力強く吸うようになってたけど・・・次第に私のおっぱいがイヤなのでは?と思い、先生に哺乳瓶を試したいと申し出た。

でも、いい顔をしない先生。後で隣のママに聞いたとこによると「誤嚥が心配。責任問題だし・・」と話してたらしい。

それでも粘って・・・・リハビリの時に、乳首(哺乳瓶の)に少しミルクをいれて練習することになりました。
それにいくまでも、いきなりではなくシリンジで少し垂らしてちゃんとごっくん出来るか?から。

リハビリの先生は、綿棒にミルクをつけての動きなどをみて「飲めると思うけどなぁ」と言ってくれて、すごくうれしかったのを覚えています。

そして、ミルクを乳首に入れて吸わせる練習となりました。
日に日にうまくなって、先生からの指示の量ではすぐ終わってしまい、リハの先生はこっそりミルクを持ってきて練習する毎日でした。


5/15  ママ、1人で初沐浴


最初寝起きで泣いてたけど、ちゃぷちゃぷすると泣きやんで気持ち良さそう
この頃からお風呂が大好きなももたんです


5/17  MRI

前回は寝なくて撮れなくて・・・。何度も起きて大変だったけど、なんとか成功。結果は後日。

日記より・・・「いい結果がきければいいけど、何であれ百花が大切な娘であることに変わりない。
ずっと一緒だし守っていくんだから・・・。3人で楽しい事、苦しい事、辛い事・・山あり谷あり乗り越えていこうね」


5/19 3kg突破!!ミル量は60ml8回。 母乳のストックがやばい。

5/20 面談。MRIの結果。

このときはパパは仕事でママ1人で先生の話を聞きました。

「低酸素性虚血脳症」「脳萎縮」「PVL」
 
脳の壊れた部分も多く、壊れたところはもとには戻らない。運動面でも障がいがでるだろう。。。

何だか冷静に聞くことができました。覚悟してた結果だけど・・・やっぱり自分を責めてしまう。
元気に産んであげれなかったこと・・・・悔やんでも、嘆いても変わらないと分かっていても、やっぱり思う。
これは、きっと永遠に思うのだろう。母親だからこそ尚更・・・。


また長くなってしまいました。続きはまたそのうちに。




重い内容なのに、今日も最後まで読んでくれてありがとうです
   ↓↓ 励みになります「ぽちぽちっ」とよろしくです(*´・ω`)ノ凸ポチ♪
 にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ 


リハビリ D先生との出会い その3
2008年07月14日 (月) | 編集 |

その2の続き・・

現在、離乳食は昼1回のみ。(食べて時はペースト食だけど3回で全部食べることも)
ミルクは経管栄養で、口ではたまにシリンジでミルクやお茶をあげる程度。
哺乳瓶の乳首は噛んで吸わなくなっただけど今この病院にはD先生はいない
諸々の事情で違う病院に変わることに

私がやる自主訓練も、やはり素人ちゃんと出来て効果があるかも微妙
だけどやらないより、やった方がいいに決まってる

兎にも角にもまずはてんかん治療
だからもう少し頑張ろうね


リハビリ D先生との出会い その2
2008年07月14日 (月) | 編集 |

その1の続き・・・


週5日、ももの様子に合わせて来てくれて、指や巨大綿棒で口や顔の刺激をてくれました。

口のまわりを刺激しても口を開けたりなど赤ちゃんにはあるはずの反射がない唾液も少ない
でも数日後にはまた"チュパチュパ"指を吸い始めました(自分のは吸えません。人の指だけ)

リハの先生の言葉にはたくさん勇気づけられました。
口では飲み食い出来ないとドクターに言われた事も、
「イヤ、飲めると思うけどなぁ…。ドクターはMRIやCTの画像でしか判断出来ないけど、僕らは実際に体とか動きをずっと見てるから…。」
「実際にドクターに食べれない・歩けないと言われた子が食べたり歩いたり出来るようになってるのを見てきてるし」

最初は「ホントかな?そうだったらいいのに。」って思ってたけど、
日に日に「いけるのでは?私のおっぱいが嫌いなのでは?」と思う事が増えました。

だからドクターに哺乳瓶であげちゃダメか聞きました。たげど返事はNO
取りあえず、まずはシリンジで垂らしてごっくんの反応みて…次に乳首に少しづつミルクを入れて…と
後で隣のママに聞いたら回診の時に「誤嚥の可能性あるしもしそうなれば責任問題になるし…。」みたいな事を言ってたらしい

それでも口でミルクを味あわせてあげるう事ができ少し前に進めた気がしました毎日10mlぐらいだけど

D先生は舌の動きやごっくんの仕方をみて、「誤嚥してないしゴロゴロもいってないし上手こんだけじゃ足りへんなぁ。きっと飲めるよ」嬉しい言葉でした

退院後、もちろんおっぱいも練習したけど、やっぱ嫌がる。哺乳瓶であげる量を少しづつ増やしていき、体重も増えてるのをみてチューブを卒業しました

もちろん、私の勝手な判断です飲めるといっても下手で時間もかかります。
もももしんどいけど、私もしんどいでも週1回のリハビリのおかげでその後、今回の入院までチューブをつける事はありませんでした

もしD先生に出会わなければずっと経管栄養のままだったかもしれません。
本当に感謝の気持ちでいっぱいですペコ((_ _*)(*_ _))ペコ

でも同時にももと同じような子たちが、早期にお口のケアが受けれない事がすごく残念でなりません
リハビリは早い方がいいもの…。


その?に続く・・・・


リハビリ D先生との出会い その1
2008年07月14日 (月) | 編集 |

NICUにいた生後間もない頃、呼吸器が外れ「やっと抱っこが出来る」と思ったのに、RSウィルスに感染
結局初めて抱っこ出来たのは、生後25日目でしたでもあの日の感動は忘れません

保育器の中で、おっぱいが吸えるように看護師さんが指を吸わせてももの状態を見てくれてました。
「最初は弱かったけど、だんだん力強く吸ってくれるようになりました」と聞いた時は嬉しかったです

いざ本番だけど中々吸ってくれないそれどころか嫌がって泣く始末…。
「ずっと呼吸器つけてたから?」「私のおっぱいが嫌い?」「何で?」と一人でいると涙が溢れて止まりませんでした。

それでも看護師さんや私の指は吸ってたのにそれさえもしなくなったある日、先生に呼ばれました。
嫌な予感予感は当たり、おっぱいをすわない・指も吸わなくなったというのは、
「食べる(嚥下)とか呼吸をするとかいった機能にダメージ(脳が)を受けてるからでしょう」と
それから「恐らく食べたり飲んだりは出来ないでしょう 」と言われました

そして、「明日からリハビリを始めましょう」と。
この迅速な対応は今ではよかったと心から思いますが、あの日の夜は涙が止まらなくて泣いて泣いて…。
自分を責めて責めて…。涙って枯れないんだなぁと思いました。

でもこの日誓いました。「ももは生きてるもう泣かない

そして次の日D先生と出会いました

その2へ続く・・・